2014年3月3日月曜日

14歳


By This River / Brian Eno

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誰しも一度は『この世は一体何なんだ、人間として生まれたのは何故なのか、自分は一体、何の為の生きているんだ?』と疑問に思うことでしょう。あ、断言はできませんね。思わなくもない・・・思ってると思う!いや思え!

いわゆる中2病の先端部分です。私もその疑問にブチあたり、当時(小学校高学年から中学生ぐらい)その答えが出せずにウンウンと悩んでいました。そんなある日、ボケーッと居間でテレビを見ていた時のこと。「芸術家の街」というのを特集していたのですが(内容は全然覚えていませんが、売れない芸術家が集まって創作活動に勤しんでいるとかいう、個人的には極力、近寄りたくない区域)その街で暮らす若い芸術家の1人の男性にインタビューするシーンがあって。彼は「生きるということは、自分を表現するということ」とハッキリと答えました。私には、それが衝撃でした。まず「生きるということ」という永遠のテーマである質問に対し、そいつが(それが正しいかどうかは別として)、明確な答えをハッキリと、ハッキリどころか若干食い気味に述べた事が、まず驚きでしたが、さらに彼の言う「自分を表現するということ」という、そのフレーズが、妙にシックリきたのです。そうか、生きるということは、自分を表現することなんだな、と。

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私は「ジョジョの奇妙な冒険」という漫画が心底好きなのですが、この漫画に
『 生きるという事はきっと「思い出」を作る事なのだ 』という台詞が出てきます。
作者の荒木さんは、1987年からこのジョジョの奇妙な冒険という漫画を、1部、2部、と描き続けているのですが、一応、彼の中で「完結」になった(と思う。まだ連載は続いてるけど)第6部に出てくる台詞です。荒木さんは常に複雑な描写と言葉を使い、ジョジョという独特の世界を構築し続けていますが、その荒木さんが出す結論は、いつもびっくりするほどシンプルです。とても分かりやすく、簡潔。だから余計に、ストレートに響いてくるのです。
実際、このテーマはめっちゃ重いし、へたなことは言えないですよね。ブログは消して修正すれば済むけど、漫画は1回発行されちゃったら取り返しつかないし。ていうか、そもそも「生きるということ」を簡潔な言葉で枠にはめて言う必要はないとも思います。しかし!!(しかし!)長年、漫画家として魅力的な作品を常に世に放出し続けている荒木さんが、ハッキリ言わはったんや!それがまた「思い出を作ること」という極力シンプルな言葉やったんや!やったるJ!(昔やってたジャニーズJr.の番組の決め台詞)

その台詞が登場する6部ですが、全体を通して見ると、確かに「記憶」がもう1つのテーマになっていると思うんです。まず最初に、ジョジョの主人公というか、まさにジョジョの「核」な存在であり、父親でもある「承太郎」という人物が、いきなり記憶と能力を失ってポンコツ廃人ニートと化してしまうんですね。
で、後半、6部の主人公(承太郎の娘。どうでもいいけど、この「じょうたろう」を変換する時にいちいち「うけたまわる たろう」で変換している姿は誰にも見られたくない)が、敵の攻撃により、3つしか物を覚えられなくて、4個目のことを覚えると最初に覚えた事が頭から消えてしまうという症状に陥り(映画「メメント」が元ネタだと思われますが)、これまたポンコツ金髪豚野郎と化してしまう話があるのです。そんなこんながあって、その上で「生きるということはきっと「思い出」を作ることなのだ。」というシンプル・ザ・ベストな台詞が出てくるわけですね。荒木さんが6部を通して言いたかった事は、やっぱり、この部分なんじゃあないか?と思います。思い出、う~ん、思い出。思い出!?えっ!?そんな簡単なこと!?あ、でも言われてみれば、確かにそうだよな~・・・と。

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おばあちゃんが重度の認知症になった時、私と母親は交代で介護をしていたのですが、その時にも改めて実感しました。人は「記憶と思い出」によって人生を作り上げているのに、すべての記憶を失くしてしまう「おばあちゃん」は、もはや別の人間「ファイナルクソババア」であり、肉体に生かされているだけであって、喜びも悲しみも、自分が感じたことの全てが、たった数時間後には「一切無かったこと」としてリセットされてしまうのですから、おばあちゃん(クソババア -ファイナルステージ-)の瞳は、光が無いと言いますか、生気がまるで無く。認知症になると、生きている意味も、生き甲斐も、すべてがなくなるので、亡くなるのも早いそうです。まあ、それも考えると、やはり荒木さんの言っている「生きるということは、思い出を作ること」は、ま~~~、その通りだなと。
ちなみに、介護もピークだった時、私は常に無表情で、毎日(とっとと死んでくり!!!拙者、マジで自決する5秒前で候・・・さもありなん、さもありなん、サモアの怪人さもありなん・・・)と、わりとヤバかった時期もありましたが、でも、そんなおばあちゃんが、とうとう、施設に入る時がきた時、私は、喜ぶはずなのに、なぜか突如、大泣きして、「私が一生世話を見るからぁ!!(ちゃんと餌もあげるしお散歩もするからぁ!晴れた日にはフリスビーもするからぁ!)おばあちゃんを施設に入れないでくだせええ!!!!Wo...Wo...」という、今思い返してみても正気とは思えない発言が、口から飛び出てきました。そして予想外の懇願をされたダディ&マミィは「・・・え?・・・ちょ・・・マジか。これマジか」って顔してました。人間っていうのは、まあ、そんなもんですね。という、関係ない話はこの辺で終わりにするとして。

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ジョジョの6部の連載が終了し、新たにスタートした「スティール・ボールラン」という漫画でも、荒木さんはめっちゃカッコイイ台詞を出すんです。

『 だがオレは納得したいだけだッ!「納得」は必要だッ!「納得」は「誇り」なんだ!「誇り」のためなら命を賭けれるぜッ! 』

・・・っていう。この「納得」というシンプルな言葉。でも絶対、大事でしょう。「納得」しているのか、どうかっていうことは、無形文化遺産級に大事なことなんだと思います。これは、私の第二の人生のテーマになりつつあります。

何をするにしても、自分が「納得」さえしていれば、それがきっと正解であり、答えなんです。逆に言うと、どんなに正しいと思われる行いをしても、自分が「納得」できていなければ、それはただの妥協であると、荒木さんは言いたかったのではないでしょうか。あ、でも全然違ってたらめっちゃ恥ずかしいですね。

でも納得さえしていれば、何したっていいわけですよ。


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かれこれ10年ほど前に見た、とある映画に出てきた1シーンに、深く印象に残っている台詞があります。
『死ぬのは怖くない。でも、死んだら、二度と、誰とも話せなくなる。自分の思った気持ちも、感じたことも、何も伝えられなくなる。それが怖い。』という台詞が出てくるんです(かなりウロ覚えなので、補正が入ってますが)

その台詞を見た時も、ハッとしたんです。「生きるということ」というテーマと同じく「なぜ死は怖いのか」という長年悩んでいたことの回答を見た気分でした。
映画を見た時も、漫画を読んだ時も、音楽を聴いた時も、誰かにそれを伝えてるのって凄く重要だし、それは「自分を表現するということ」という言葉に繋がるのでは?と思いました。


Blow It Out / The Features

洋楽の中で、一番好きな曲を決めるとしたら、この曲です!と、ハッキリ言える時がありました。今はどうかな。一番とは言い切れませんが、やっぱり、今でも好きですね。

2 件のコメント:

  1. 僕も「生きる意味」というのに1度ならず100度くらい考えたことがあります。
    でも考えて2分後には「まあどうでもいいやっ!」って飯にがっついています。もはや、これが、僕の生きているということなのだろう!!いやそんなわけないだろう!!!もっとよく考えろポンコツがあ!!!!
    ということで、ジミー君のブログにて改めてまた、「生きることとは」について考えてみました。あ、でもやっぱ、バカだから無理です!!!

    僕もその芸術家の「表現すること」というのに、納得しました。
    生きたい=表現したいって思うことがたまにあります。何も表現することがなくて、普通に生活してて何かに満たされていればそれでいいや~と思うこともあるけど、でも、どうせ生きてるなら自分はこうなんだ!とか、自分はこう思う!とか、ほらこれこれこれ!!これを見よ!!ってウゼーくらいに表現しきってみれば、baby boy あたしはここにいるよ(by青山テルマ)って誰かに伝わるし、ここに生存者あり!って生きている実感を得られるような気がします。んん?ちょっと話が脱線してますね。すみません。でも僕も生きることは表現することだと思います。逆に死にたい!って思って首を吊ろうとするけど、それはそれで、死にたいということを表現してるから、結果それも最後までの生きてる表現なんでしょうね。

    ジョジョの奇妙の冒険!確か兄が持ってたはずなので、あったら読んでみます。ジミーペイジに登場しちまったのなら、しょうがない!これを機に・・・読んでみるぞ!!(いやちょっと絵柄が好きな感じではなさそうなんですよ~)

    僕の祖母も、もう小ボケから中ボケへ、中ボケから大ボケへ、満点大ボケ!!ってな感じで数時間前のことすら忘れてしまいます。それでも僕はまだ、おばあちゃんチ行くと普通に会話できるので、ジミー君ほどの苦労は経験したことないけど、とりあえず「あんた誰?」と言われる日まで(いやそんな日死ぬまでこないでほしいけど)おばあちゃんを大切にしていきます。もはやこれは、僕の宿命!

    荒木先生の言う「思い出を作ること」も素晴らしいお答えですね!あ、記憶や思い出で思い出したけど、「SPEC」というドラマで加瀬亮さん演じる瀬文のセリフで、「何度もお前にやれたが、俺の記憶は結局消えなかった。なぜだかわかるか?人間の記憶ってのはな、頭ん中だけにあるわけじゃねえ。ニンニクくせえ人間のことはこの鼻が…この傷の痛みが…体全部が覚えてんだよ。」というのには心を打たれました。やっぱ記憶や思い出って頭だけじゃなく、体に刻まられなければ(←言いにくい)意味がないもんですね!だから肉体に思い出が残るから荒木先生の「生きることはまさにこれ」と、直結しました。んん?これもなんとなく、違うかあ~!?

    結果を言うと、僕はこれからもツイッターやらこのブログのコメントで表現(生きる)をしていくので、ジミーくんも末永く生きる(表現)をしていってください!ジミー君の生き様を僕はずっと見ていきたいですよ!どうぞよろしく!!

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    1. あ、前のコメントで触れるの忘れてたけど、迷子って!!何やってんだ!だははじゃjはじゃじゃ!あ、でもね、僕もよ~~く迷子になるんですよ。しかも20歳を過ぎて、迷子が原因で泣いた事が3回はあります(よく人の失態を笑えたな!)スマホに代えてから、どれだけ地図アプリと電車乗り換えアプリにお世話になった事でしょうか。スマートフォンさんマジリスペクト。

      まあ、そんな話は置いといて!こちらの長い記事にも触れてくれて、ありがとうございます。まず・・・「ジョジョの奇妙な冒険」は、是非チェキかましてください!!!確かに1部(1巻~)は、絵柄が北斗の拳っぽいですし、内臓ドベパ~ッ!て感じの表現が多いです。なので、そういう方は「3部」からいきましょう。うけたまわる たろう(承太郎)が主人公のストーリーです。「3部」「4部」「5部」と読み進め、そのあたりまで読んだら、改めて「1部」「2部」を読んで、最後に「6部」が一番スムーズな流れです。
      でもな~、べんてん君は、そもそも漫画っていうものがそっこまで好きじゃなさそうですし、君には「僕の小規模な生活」の1巻と、松本大洋作品(その中でもナンバーファイブが特に)がおすすめだから、無理にジョジョを勧めることは・・・ワシには、できん・・・!!
      でもお兄さんの部屋にあるんだったら、是非!読んでみてくださいね。探してみたら「ワイルドハーフ」しか無かったとか、そういう悲劇はありませんように・・・!

      で、記憶の話ですが。「SPEC」って、そんな良い台詞が出てくるドラマだったんですか?見ておけば良かったな~。
      いやでも、実際、そういう部分は大きいですよ。記憶って脳だけじゃなくて、匂いとか、痛みとか、感じた肌の寒さとか、景色とか、もう色んなことを含めて、ですもんね。その「ニンニクくさえ人間のことは」っていう部分がめちゃくちゃシビれます!!

      表現したいよね。だからシンプルに、すればいいと思う。ていうか、しようよ!!!!僕は、根暗なので、そして人前に出ることを異様に恐れているので、みんなで個展を開こうとか、一緒に路上でイラストを売ろうとか、ライブをやろうとか、そういう、アートに溺れて花咲かそうや・・・みたいな、そういう事は、憧れはするけど、出来ない(言い切った!)でも、べんてん君と、月光君と、一冊でいいので、雑誌を作ってみたいです。もうA4用紙にひたすら手書きで書いて、コンビニでコピーしてホッチキスで留めるレベルでOKです。ワード・エクセル・パワーポイント、必要なし!!あとは部屋に飾るポスターを描いたりしたいですね。だって楽しそうじゃないか。というわけで、べんてん君のお母さん!お邪魔しま~~っす!!(この子が、ちょっとおかしい子・・・!)あと、僕たちだけの写真展はどうでしょうか?もちろん、スマホのカメラでいいでしょう。一眼レフを持って高円寺を歩く必要は無し!
      総合失調症になった知り合いのN君も、よく、1人で部屋で、ラジカセの録音を使って、ギターを鳴らして、テープに歌を吹き込んでいたよ(その後、精神病の施設に入院して、その後は知らん)
      でも、表現するっていうのは、やっぱり、そういう事で、何も、世界中を回って色んな国に触れたりとか、そういう「みんなが凄いと思うこと」をする必要は、どこにもないんじゃないかなって思う。
      あ、でもせっかく生きてるからね。旅してみたいね。タイとかインドとか。あ、なんか話が逸れてきましたね。すみません。

      あとおばあちゃん!満点大ボケ笑い(Lv.75)に昇華してしまいましたか。切ないな~。でも、まだべんてん君のことを忘れていなかったら大丈夫ですよ。ていうか、どれだけボケても、「あんたしゃん・・・誰かいな?(ほぇぇ?)」って言われたとしてもね。記憶の奥底では、絶対に忘れていませんから、心配いりませんよ。
      まあ、ほんと、お年寄りって「は?今お前の発言、タメだったらグーパンよ?アン?」っていうぐらいのことを平気で言ったりやったりするんです。だから、きっと、腹立つ事もあるだろうし、やりきれない時もあることでしょうが、それでも、おばあちゃんのことを大切にしてあげたいというべんてん君は、とても優しくてよい子ですね。きっとカエルが死んだ時も、「かえるのはか」とアイスの棒に書いて、そっと埋葬してあげていたんじゃないでしょうか。それはしたことない。フン。そうですか(ムッとした表情。炸裂する理不尽!)

      とにかく、まだ「生きる理由」も、その表現方法も、何が正しくて何が悪いのかも、何も見つけられないのかもしれません。でも、それでもいいですよね。とりあえず今は、地道にバイトをして、日銭を稼いでるわけで。そんなんで毎日は、当たり前に、びっくりするほど普通に過ぎていくわけですが、でもな、もっとこっち来い、心配すんじゃねえ ぜってぇ守る だから泣くんじゃねぇ。って童子-Tさん (feat.BENI)も言ってたし(あ、これは今まったく関係無かった!)
      でも、いつか必ず、「わーっ!!!!!!」って、放出できる瞬間が訪れるでしょうね。その時はきっと、めちゃくちゃ幸福だと思うので、楽しみは、もう少し先の未来に、残しておきましょうか。

      あ、ていうか、べんてん君もブログやったらどうですか?(細川元総理に、あなたが立候補してみたらどうですか?と切り替えす池上彰さんのイントネーションで)べんてん君の語りは、コメント欄だけじゃ勿体無いでしょう。(でも、今度は僕が「上の人、コメ長っ!!」って言われちゃうのかな!!)
      とりあえず、今はブログやツイッターでいいですよね。だってこれも楽しいじゃない!!人の文章が見れるっていうのも、インターネットのおかげだ!!だから、これからも末永く、べんてん君を見守っていきますよ!よろしくお願い致します!!!!(青山テルマのことも!!)

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